いまとなっては、歴史の教科書にのっている「バブル時代」
金利は上がり続け、給料も賞与も右肩上がり。
上がるであろう収入を基準にローンを組む人も多かった。
その頃の多くの人々は、通帳の残高の桁が増えていくことを
「豊かさ」
と呼んでいた。
夜の街ではドンペリがポンポンと景気よくぬかれ、
暗いラウンジでは、ミネラルウォーターの瓶に水道水がつめられた。
見るからに高級そうなウイスキーの瓶に、実は安い酒が入っていたが
誰も気づかない。
味覚を失った人々が、雑誌を賑わすフレンチレストランを訪れ
訳知り顔でうなずきながら食事をしていた。
あれから20年。
「失われた10年」はとうの昔となっている。
いまや、かつてのステータスシンボルだった車を持つ若者は少ない。
車は、持つのも運転するのもリスク。
住宅ローンは一生足かせのリスク。
教育費がかかる子供をもつのもリスク。
結婚もリスクとなれば、出生率が下がるのはあたりまえのこと。
人混みを歩けばウイルス感染、ひきこもればコロナ離婚。
経済は停滞し、仕事を失った人があふれかえるのに
たった2枚のマスクすら、まだ届かない。
鳴り物入りですすめたマイナンバーは機能せず、
職員の手仕事で疲労はマックスなのに、公務員への風当たりは強い。
国会中継では揃いも揃って居眠りして、このありさまでも彼らはボーナス300万円とツイートされる。
なにを信じて、どうすればよいのかすら分からなくなっているから、
幸せってなんだっけ?
と、すっかり人生に迷子。
「幸せ」と「豊かさ」は「きれい」と「美しい」くらいよく似ているね。
それらはすべて、五感で感じて味わって心の底から出る言葉。
絵本の読み聞かせや子守唄で子供が眠ってしまうのは、声が優しく鼓膜をくすぐるから。
おウチのごはんが特別なのは、特製「愛情スパイス」がふりかかっているから。
痛いところを撫でてもらうと痛いのがとんでいくし、
おばあちゃんちに行くと幼い頃に戻った気がするのは、おばあちゃんちの糠漬けの匂いかしら。
授業参観のとき、ついつい後ろを振り返るのは見守ってくれている姿を確かめるため。
ワケが分からなくなって、もうどうしたらいいの、って叫びたくなる時は、たいてい目を塞ぎ、耳を覆い、丸くなってうずくまって五感の電源はOFF。
ぶら下がるように手をつないだ感触。
「大好き」って言葉が鼓膜を震わす感覚。
熱を確かめるためにおデコにあてた掌のひんやりした気持ちよさ。
なにをしても怒らないで笑って許してくれたおばあちゃんちの匂い。
赤ちゃんが人差し指をぎゅぅっと握ってくれた柔らかさ。
失恋して泣いてたときにすり寄ってきてくれた猫のモフモフ感。
そんなこと思い出していたら、いつの間にか呼吸が深くなって胸がいっぱいになっていた。
あふれるほど気持ちが豊かなことを「ゆたかさ」と呼んでほしい。