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人生100年時代って本当?

· 寿命,老後,余生,エンディングノート,おばあちゃんと孫

平均寿命が伸びて「人生100年時代」なのだという。
だから年金受給開始は遅いほうがよいとか、年金でまかないきれない分の貯金が必要だとか、高齢でも入れる保険のCMとか、あれこれとかまびすしい。

私の母は60代でこの世を去った。
冷たくなった母の身体を綿で拭いながら、平均寿命なんてものはなんの保証もないただの数字なのだと実感した。
あわただしく一連の葬儀を終え、連日の疲れも癒えないまま妹と私は二人で母の遺品整理をはじめた。

床から天井まであるクローゼットの扉を開くと、中にはタグがついたままの衣類や箱に入ったままの靴、旅行カバンが山のように残されていた。

彼女は死ぬなんて思っていなかった。
余命宣告された期間よりもずっと長く頑張り、さらに旅行に行く気満々だったのだ。
「お父さんより先に死ぬのは嫌だって言ってたね」
姉妹の泣き笑いの会話とともに行われた膨大な遺品の整理には、結局2年ほどかかってしまった。

一方で母方の祖母は103歳の大往生だった。
祖母の姉はすべて104歳超えで亡くなっており、妹である大叔母はご存命だ。
「アナタ随分早くきちゃったわね」
と祖母は姉たちに迎えられていることだろう。

戦時中を生き抜いた祖母は、強くたくましく優しい人だった。
孫とひ孫の面倒を一手に引き受け、おばあちゃん子を量産していた。
お盆と正月には孫、ひ孫が勢揃いし賑やかなひとときを過ごすというのが何年も続いた。
どこへでも歩いていく健脚ぶりを発揮していた祖母だったが、膝を痛めたり内科的な問題が見つかるなどして入退院を繰り返すようになり、いつしか入院したままになっていった。
それでも人気ナンバーワンのおばあちゃんだもの、入学卒業の報告やら誕生日やら、なんなら出かけるついでに顔を見に行く、そんな日々。
それがコロナ禍で一変した。
会って話すことも、手を握ることもできなくなり、ときおり看護師さんが送ってくれる動画の中の祖母はみるみるうちに枯れていくようだった。
そして、コロナ終息の直前に逝ってしまった。

こうやって身近な人の死をまのあたりにすることで、少しづつ死に向かっているのだという教えを得ているのだと思う。


先日、エンディングノートを書き上げた。


延命治療は必要ありません。
痛いの苦しいのは勘弁だが、機械につながれて呼吸だけしているのはお断りだ。
お母さんは転生を信じているから、私の転生のチャンスを奪ってくれるな。
いいタイミングで旅立つから諦めて見送ってくれ、よろしく。  母より