駅前のケーキ屋さんの角を曲がって細い路地を入っていくと、
控えめな看板と木のドアが優しいピザ屋さんがある。
ランチを楽しもうと入った1件目の店がいっぱいだったから、
とりあえず歩いてみようか、ぐらいの気持ちでさまよっていた高校生のお嬢さんと私。
思いがけず見つけたその店のドアを開けたら、
まるで私たちを待っていたかのように、席は2つだけ空いていた。
ちょっと見ただけでは、何が売られているのだかわからないくらい奥ゆかしいその場所は、
8人も入ればいっぱいになってしまうような、カウンター席だけのレストラン。
余計な装飾のない、シンプルな空間の一番奥には、
店の規模とは不釣り合いに大きな石窯があった。
石窯の中には薪がくべられていて、オレンジ色の炎が踊っている。
「カルシファーみたいだね」
と、ジブリが大好きなお嬢さん。
冬ならともかく、夏の盛りにはどんなにエアコンを効かせても
石窯に近い席に座ると熱気で顔が熱くなるのを感じる。
きっと寒いさなかであろうと、この席に座ったら遠からず顔が火照ってくるだろう。
隣には仲の良い中年夫婦が座っていた。
少し酔ったご主人が、
これほどのピザを焼くのだからさぞかし名の知れた店で修行したのだろう
とオーナーに詰め寄っていたけれど
彼は優しい微笑みをうかべたまま「独学です」と答えていた。
男性とは思えないほど白くなめらかな指で、ひとかたまりの生地を丸く形つくり伸ばしていく。
ピザの生地ってこんなに伸びるんだ・・と、お嬢がつぶやく。
少しいびつに見えたピザが、大きな木のヘラに乗っかって石窯に差し込まれると
手品のようにクルックルッと回されて、みるみるうちに膨らんでいった。
ものの数分で、香ばしい香りとともにこんがり焼き色のついたキレイな円形のピザが現れた。
一連の無駄のない動作は、まるでお茶のお点前を見るようだった。
クワトロフォルマッジオを2人で分けて、
ドルチェにはお嬢の好きなキャラメルジェラートを選んだ。
ぼーっと石窯の炎を眺めていたら、隣で歓声ともため息ともつかない声をあげている。
ジェラートが美味しいらしい。
ピザに充分満足していたから、ジェラートはオマケくらいに思っていた。
ところが・・・
ドルチェを作らない彼は、店で出すドルチェを探していた。
ありとあらゆる方法で、いろいろな所へ出向き、ほうぼう探し回ったあげく、
このジェラートに巡り合ったのだという。
それを仕入れるために、彼は店の材料の多くをそこから仕入れている。
どうしても、このジェラートが欲しかったのだそうだ。
お店の大きさがなんであれ、彼はその大きな石窯でピザを焼きたかった。
仕入れコスト云々よりも、彼はそのジェラートを店におきたかった。
そして、なにより彼はあの熱い石窯の前で楽しそうにピザを焼いていた。
「美味しい」のエレメンツは「幸せ」のそれに似ている。