音が鳴らなくなったから、と
森の中に捨てられていたピアノから始まるのが「ピアノの森」
鳴らないはずのピアノを奏でる少年。
将来を嘱望されていたのに、事故に遭ってピアニストを諦めた音楽教師。
森のピアノは彼が捨てたものだった。
セカンドシーズンの「ピアノの森」は、ショパンコンクールが舞台となっている。
むかしむかし、「いつもポケトにショパン」という作品があって、
女の子のお稽古ごとランキングにピアノが上がっていた頃、密かに流行っていた。
少し前に「のだめカンタービレ」が流行ったときは、音大の受験者数が増えたらしい。
ものごころついた時にはすでにピアノの前に座っていた。
それから20年余り、毎日ピアノを弾く生活を送っていた。
ピアノに向かうことが歯を磨くのと同じくらいあたりまえだった。
まだ自分の名前も書けないような幼い子どもに、
短調(マイナー)は悲しい感じ、長調(メジャー)は楽しい感じ、と教え込む。
この曲は悲しい感じ?
それとも楽しい感じ?
感情という得体の知れないものをランドセル背負う前の子供に認識しろ、と説く。
小学生になると、音楽コンクールなるものがあって
悲しいフレーズはより悲しく、楽しいものはより楽しく表現するよう繰り返し練習する。
そう、聞く人の心を揺さぶるためには、大げさなくらいの演出が必要だと教えられるのだ。
いわゆる、コンクールのためのテクニック。
そこにあるのは、作られた偽りの感情表現。
そんな感情偽装に辟易していた頃に出会ったのが、「いつもポケトにショパン」だった。
そこには学校では教えられない様々な感情が詰め込まれていた。
喜びや優しさなんていう美しいものだけではなく、嫉妬や羨望、孤独や絶望。
闇があるから輝きが際立つ。
高校、大学と進むうちに、胸の傷む思いも知り、声を殺して泣くことも経験した。
そうするうちに、自然と音が動き出す。
声を殺す代わりに、ピアノが泣いてくれる。
鼓動が跳ねるときには音が明るくなる。
音楽高校に入学してすぐの頃、同じクラスの声楽科の友人が切羽詰った顔で言った。
「相談があるの」
「声楽の先生に、恋をしなさい、って言われたんだけど、どうしたらいい?」
女子中学校から来たお嬢様。大事に育てられた「箱入り娘」の彼女に声楽の先生は
恋をしないとこの曲は歌えない、と言い切ったそうだ。
イタリア歌曲集の内容は、ドロドロの恋愛模様。
高校入学と同時に、恋をしろ、と勧めるのはアノ学校くらいだ。