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その日はなんとなく、左脚がダルかった。
そんなに歩いたわけでもなく、筋トレに励んだわけでもなく
いつもと同じように過ごしていたはずだった。
それなのに、日暮れとともにダルさは痛みに変わり、夜半過ぎには立てなくなっていた。
ダルさを覚えてから激痛で立てなくなるまで、たかだか数時間。
その日の朝は普通に歩いていたのに。
このまま歩くことができなくなるかも知れない、と考えてしまうほどの痛みに
目の前が真っ暗になった。
幼い頃、お腹が痛くなると布団の中で
「神様ごめんなさい、いい子になるからお腹痛いの治してください」
そう唱えていたのを思い出す。
生まれたときから周りにいた人は、自分が存在するあいだずっといるものだと思っていた。
両親しかり、おばあちゃんしかり。
ものごころついた時の環境はずっと続くものだと、なんの疑いもなく信じていた。
10年前、母を亡くした時にそうではないことを知った。
時間は無限にあるような気がしたのは、もうずっと昔のことで、
今はいつ幕が降りてもおかしくないよね、と思うようになっている。
なんの苦もなく普通に歩けることを有り難いと思ったことはなかった。
それが、今は奇跡のように感じている。
自慢の娘を見送った祖母の姿が忘れられないから、
息子達が元気でいてくれることが有り難くて胸がいっぱいになる。
何事もなく歩けることが嬉しくて、したことのない散歩にでた。
気持ちよく深呼吸して思い出した。
喘息持ちだった頃、ちゃんと呼吸ができなくて苦しかったのに
こんなに深く呼吸ができるようになってた。
ごめんね、気がつかなくて。
気がつかないでいられることは幸せ。
気がついて感謝できたら、もっと幸せ。