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幽霊と一緒に暮らしていたんだ•••
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「母に引っ越してもらうことにしたの。」
夫婦揃って2年がかりで説得して、ようやく近くの施設に来てもらったと友人はホッとしたようにつぶやいた。
「片道2時間かけて週に1度は訪れていたけれど会うたびに痴呆が進んでいることに気づいていたから、1日も早く安全に暮らして欲しくて。」
バスで10分程度のその施設へ、慣れないうちは不安だろうからと毎日会いに行ったそうだ。
1ヶ月たち2ヶ月がすぎ、3ヶ月たったいまも電話は毎日かかってくるし、あれを持ってきてコレが欲しい、と2日に一度は会いに行っている。
すぐに会いに行けるところだし、じっさい以前より頻繁に会っている。
施設のスタッフも親切だし、同じ年代の友人もできるだろう。
ひとりきりで1軒屋に住んでいるときと違って、いつも誰かがそばにいる。
「それなのに、前より寂しいって言うのよ。」
彼女はワケがわからないわと言うように話す。
•••もしかしたら
「幽霊と暮らしていたのかも。」
とっさにでた言葉に、自分自身で驚いた。
そう、3年前に見送ってもなお、その家に残っていた夫の気配とともに暮らしていたのだ。
夫とその家ですごした30年あまりの日々は、記憶と匂いと気配を色濃く残して
残された妻を包み込んでいた。
目を閉じれば時間を超えて気配を感じる。
木造家屋にしみついた匂いは、その記憶をさらに強めたに違いない。
痴呆が進むうちに、目を閉じなくてもその人の姿が見えたのかも知れない。
その優しい幽霊は、ずっと寄り添ってくれていたのだろう。
人は自分の記憶を都合よく書き換えるらしい。
多少の諍いは忘れて、良い思い出だけを残すようだ。
人生の最終章をすごすとき、瞳の奥に浮かび上がるのは誰なのだろう。