初春のWeb更新は金運アップをねらって金茶系を使おう
そう考えて、ぼんやりと「日本の伝統色 茶系」を眺めていた。
明るすぎても目に痛いし、暗すぎるのは重い。
そんなこんなでバレンタインも兼ねてチョコレート色に近いものを探して見つけたのが
「きつるばみ」
きつるばみ、ってナニ?
『衣服令』の服色尊卑の序列では、19色中第7位
色の説明でいきなり現れたのがコレです。
衣服令(えぶくりょう)は飛鳥時代に天武天皇が制服を定めたことに始まりました。
高松塚古墳にあるような姿、いわゆる唐風の衣装ですね。
平安初期も唐風だったようですが、遣唐使を廃止したあたりからぐっと日本独自の文化が芽生えて十二単登場となったようです。
とはいえ、十二単というのは後世についた名で、実際は、唐衣裳(からぎぬも)。
唐様とか唐紅とか、唐がつくものが多いこと•••。
もっとも絢爛豪華だったのが、平安時代院政期。大天狗とよばれた後白河法皇のあたりのようです。
衣装の豪華さはさておいて、色です、色。
衣服令はスタイルだけではなく色についての決まり事がわんさかありました。
なかでも「禁色」
地位や官位によって許される色が定められておりました。
平安時代は、赤、青、黄丹(きあか)、支子(くちなし)、深紫、深緋、深蘇芳、の7色および有文(うもん)の織物。
青は天皇、赤は上皇、黄丹は皇太子、深紫は一位の袍、他の3色はそれらに似た色ということで禁じられたとか。
あれっ、聖徳太子さん(飛鳥時代)の冠位十二階とはちょっと違いますね。
奈良時代の養老の衣服令によると、一位は深紫、二位・三位は浅紫、四位は深緋、五位は浅緋、六位は深緑、七位は浅緑、八位は深縹(ふかはなだ)、初位は浅縹。平安後期に、四位以上は黒、五位は緋、六位以下は縹色
時代によって禁色も変わっているようです。
そんななか、絶対禁色というものが存在します。
それは、黄櫨染(こうろぜん)
「即位礼正殿の儀」で天皇陛下がお召しになった袍の色がまさにこの色。
赤みのある暗い黄褐色、深い金茶に近いような色です。
紫外線で発色が変わる特徴があり、朝昼夕と太陽の光で色が違って見えるとか。
嵯峨天皇以降、黄櫨染は天皇だけが着用できる色となったそうです。
いずれにせよ、着用できる色にこれほど制限があったということは、十二単にも制限かかっていたわけですよね。
しかも、襲(かさね)の色目にも季節やその他の条件によりルールがあり、かつその中でセンスの良さを発揮しなくちゃだなんて•••。
男性の礼服にも厳格なきまりがあり、金銀の装飾のついた腰帯とか横刀なども指定されています。
それはそれは細かいところまで指定されていて、この通り揃えるだけの経済力があったなんてすごい。その一方で、平安貴族とはいえ貧しい家門もあったわけで、とんでもない格差社会です。
さらに、内裏の中と外では別世界だった平安期。
何枚もの衣を重ねた十二単がきらめく内裏と、壁を隔てて魑魅魍魎が跋扈する内裏の外側とのコントラストがなんとも切なく感じられます。